例えばゴミが落ちているとして、それを拾った誰かを他人は認識するだろうか?
①ゴミの存在自体に気がついていない人
これが大半。世の中の人は、それほど些事に興味はなく、アンテナがそのゴミに反応していない。
②ゴミには気付いていたが、なくなったことには気づかない人
この人も多数派。拾わないんだから、ゴミのことなんか覚えていない。
③ゴミがなくなったことに気づくだけの人
「あっ、なくなってるな。良かった。」ってなもんで終わり。すでに少数派。
④ゴミを片付けたのは誰だろうと思う人
極々少数派。
⑤ゴミを片付ける人
数パーセント。
ココで、⑤は真に「いい人」なのだが、他人が認識していないケースが殆どなのでいい人に認定されない。つまり「いい人」とは、他者の介在なくして存在しないわけだ。
明確な不都合があって、それを解決してくれる人が所謂「いい人」。解決者が多少の無理を飲んでいるといい人レベルが高くなる。
これがAB二者の当事者間で完結するならいい人ってことで構わない。しかし、多くの場合当事者以外にもその「いい人行為」の影響が波及する、迷惑として。
「無理を通せば道理引っ込む」とはよく言ったものだ。世の中の「いい人」は無理を受け入れて道理を疎んじているのだ。「いい人」と言われる周囲に道理を飲み込み、無理に苦しむ人がいる。果たしてコレが「いい人」か?