某じゃぱん

魚釣りと人間

人間:楽は悪か?

一生懸命は素晴らしい、そう思う。何事にも全力は大切だ、そう思う。額に汗して働くことは美しい、そう思う。が、「ちゃんと」の方が上じゃないの?「なるべく早く」「粗相なく」終えていれば、外見的な要素は関係ないと思うんだけど。

 

有限不実行と不言実行と同じだ。前者は実行していない。後者は実行している。大それたことを言っただけの前者が評価されて、何も言わずに職務を全うした後者の方が評価されない現代って何なん?

 

不意の仕事をふられ、長時間働いて穴だらけの着地。周囲が各所に頭を下げる結果になろうとも、「仕事をふった人間」も「仕事を片付けた人間」も満足気。絡んでいない外野は迷惑だけ被り…『不時着』したせいで発生した追加の仕事をこなした「仕事を片付けた人間(当事者本人)」は「オレが責任もって頑張りますからっ」みたいな空気出して。「仕事をふった人間」は彼を「おう、頑張っているな」みたいな評価で。

 

不器用に苦労している様子だけはみんなわかるのに、スマートに手際よく仕事を片付ける人間いは気がつかないんだよね。特に上から下を眺めたときに。そう、「楽している」ようにしか見えないから。

 

仕事も重量がしっかり測れればいいのに。苦労しているように見える人も、楽しているように見える人も、仕事自体に一律基準で測れれば外見に左右される幅が減るのに。なくならないだろうけど。自分のために苦労している他人のことが、多くの人は好きだろうから。

 

楽しているように見えるから、仕事振られるじゃん?その仕事を割と楽そうに終えるじゃん?そうするとまた別の仕事を振られるじゃん?って具合に「楽している」人の方が仕事を多くこなしていることが多いはず。

 

バブルの頃のそう、「美味しんぼ」の山岡さんのような人は現代には会社に入れないでしょう?もっと世知辛い時代の令和、「楽している」ように見える人間の評価は向上するのだろうか?少なくともその存在は悪であろうはずもないが。