某じゃぱん

魚釣りと人間

人間:授業参観

授業参観って何見ていればいいの?

自分が子供の頃、後ろで何を見ていたのか、何を考えていたのか、実家に帰ったら父親に聞いてみたい。

 

妻に「授業参観くらいしか学校内での様子はわからないから行けば」って言われて授業参観に行ってみた。

 

子供の学校の様子も、テーマパークも、最早多くの映画も、「想像を超える」ことはあまりない。予想していたのと大差はない教室、周りの子供たちの授業態度、先生の授業…わざわざ学校まで出向いて見るほどのこともないイベント。授業を見るだけならライブ配信でも良さそうな時間だった。

 

国語や算数のようにちゃんと勉強する教科か、図工や家庭科のような参加する教科ならまだしも、よりによって道徳だった。

私は道徳の授業が嫌いである。「人として…」の部分は座学で学ぶものだと思っていないし、テキスト通りでもないと思っている。そして、聖人君子が教えるなら筋が通っているが、学校の先生が教えるなんて…今回の先生がどうってことじゃなくて、路傍のゴミを拾わないような、靴の踵を踏んでいるような、「徳の低そうな」人に道徳を説かれるなんて破綻している。

 

小学生だって「いいこと」と「悪いこと」は概ね分かっている。「ボランティアでみんなのために活動している人」が「いい人」だって分かる。その人を取り上げて「どういいこと」で「どんな苦労」があって「誰のため」になることで「きっかけ」が何だったのかを言語化するのに、どんな意味があるのだろう。同じような行動をする人を生み出したいのか?そんな気配は教室から一切感じられないけど。

 

生態学の授業とか道路交通法の授業とか、もっと現実感があって大切なことがあるはず。道徳なんて、サイコパスじゃない限り勝手に身につく、目覚めるものだと思う。教科の勉強以外の部分で、教育現場の進歩のなさを痛感した機会だった。家庭で教えない限り、SDGsも食料自給率煽り運転も、様々な現実的な問題は解決しない気がする。そんなことを考えた授業参観だった。子供がちゃんと授業を受けていて安心したから、もう行かない気がする。