某じゃぱん

魚釣りと人間

人間:異動する側の模範的発想とは

ウチの会社の異動は事業所が移ることになり、出戻りでの異動でない限り初めての土地で、未知の人間を相手にすることになる。職場の人間関係も新たに構築することになり、割とネガティヴに捉える人が多い。栄転でも出世でも「異動したくない」らしい。

 

ただ、そこは会社員。個人の感情的なもので人材配置しているわけではないので、時期が来れば異動することになる。ではどう考えるか。

 

「オレがいなくなったことで、オレの苦労を知れ!」って思う人がいる。自分の仕事だったことを引き継いだ人間が上手くできないと「ほらね、オレだったから…」とほくそ笑む。

異動元に恩義を強く感じる人がいる。異動後もちょくちょく顔を出す。自分がいなくて大丈夫かなぁ?って思っている。

 

どっちも大して変わりはしない。自分の存在意義を確認したいのだ。大いに結構。むしろ人間として健全だと思う。異動した自分の「穴」を確認して喜ぶのだ。自分がいなくなって発生した「不便」を側から見て安心したいのだ。他人を思っているのではない。自分を慰めているのだ。古巣から泣き言を言われて悦び、古巣の顧客から復帰を望まれ悦び。実に人間臭い所業だ。が、大いに結構。

 

自分の潜在的価値はいなくなった時に初めてその恩恵を受けていた他者に伝わる。人間とは、他人とはそのくらい鈍感な生き物だと思う、思っていた方がいい。それでやっとバランスが取れる。

 

ただし、「自分」はもうそこにはいないということは認識すること。他人の不便は他所事。一通り確認したら次の現実。自分の新しい環境に向かって励もう。

 

「異動」の全てが「栄転」ではないかもしれないけど、何も問題を起こしていない以上は「左遷」じゃないし、馴れ合った上司よりもっと適正な評価が得られるチャンスだから。単身赴任のない弊社では若いうちしかできないことだから。