某じゃぱん

魚釣りと人間

人間:麻雀をする人は…

「麻雀をする人は頭がいい」気がする。コレについて意見してみる。

 

萬子、筒子、索子に字牌を加えた全136枚を使って14枚の手役を作るゲーム。3人か4人で行う。役の数はローカルなものもあっていくつあるかわからない。他人の捨てた牌を「鳴く」と成立しない役とか、ルールはやる気になったら上手な説明がネット上に山ほどあるから、それを見たらいい。

 

で、本題。

スマホのゲームで始めるのが適当かと思う。ルールを知らなくてもできるから。ただし、ルールを知らないと「上がれない」。

 

ゲームがナビしてくれるから「ポン」とか「チー」とかできるが、そのポンやチーが「上がり」に向かっている行為なのか分からないはず。「勝ちたい」と思うなら上がり方、つまり「ルール」を覚える必要が出てくる。

 

どんなコミュニティに所属するにも、どんなアプリケーションを使うにも、どんな教科を勉強するにも、必ずルールが存在する。会社にだって投資にだってルールがある。小学校で勉強する道徳のようなものじゃなくて、より現実的で利益的なルールを我々は理解する必要がある。それは感情に操作されるものじゃなくて、制度として存在していることが圧倒的に多く、その分目に見えて役に立つ。但し、誰かがナビしてくれないし、一々教えてもくれない。そこにいる利害が絡む人達は皆「知っている」前提で接してくる。

 

優しい人はたくさんいる。聞いたら教えてくれる。でも、教えないことが自分の利益になる場合、知らない人がそこにいることが自分の利益になる場合、教えてくれない人の方が多いだろう。情報は無価値ではないのだ。ルールはあるが、ルールを知らないでその場に存在する人間は歓迎すべき対象であることもある。悪いのは知らない方だから。

 

麻雀をする人は「ルール」という前提があることを理解している。複雑に組み合わせることができることも、流れに乗ることも理解している。小さな躓きが大局に影響することも、知識ではなく経験として理解している。

 

将棋のように「一対一」ではなく、「三人」か「四人」というのも重要。四人で麻雀をする場合、場面によっては「一対三」「ニ対ニ」「三対一」など、対処すべき相手と配慮すべき相手が様々だ。自分本位じゃダメだし、目の前の相手だけ見ていてもダメ。自分だけでなく相手の状況も頭に入れて動く必要がある。

 

遊びの段階でこれだけ頭を使っている人が、勉強や仕事の場面、つまりより大きな利益を動かす場面で「頭がいい」のは当然だろう。

 

通信しながら楽しむゲームが増えた昨今とはいえ、麻雀ほど自己の利益のためにルールと周囲と流れに配慮しながら遊ぶものはないのでは。ボケ防止も兼ねて、正月は息子に麻雀を教えてみようか。