某じゃぱん

魚釣りと人間

人間:行き方

大学生の頃、レンタカーのカーナビはドラクエみたいだった。「こんなので行けるの?」って思っていたけど、カーナビの誤差はどんどん小さくなり、それを凌駕するスマホのナビゲーションアプリの進化で、もはや道に迷うなんて中々ない。初場所に行くとて不安はない。

 

小学生の頃、父親に方位感覚をトレーニングさせられた。太陽、山、都道府県、世の中こんなに便利じゃないから、目に見える周囲の情報で位置を判別できるようにと。道に迷っても昼間なら大体の位置が把握でき、元の位置に戻れる。だから、「道に迷う」こと自体が嫌じゃない。

 

目的地に向かう際、道程は一つじゃない。「目的地に着く」こと以外の選択は自由であるはず。予定されているルートを外れても、着けばいいのだ、本来は。

 

道に迷うと予定されていない発見がある。知らないラーメン屋や素敵な住宅や穴場の釣り場などなど。時間を失う以外の喪失はない。時間は大切だが、一期一会の偶然の方が価値がある、と思う。もちろん、面白くもない田園風景をひたすら見ることも少なくない。ただ、悔やむほどのものでもない。

 

一人で出掛けている時はいいのだが、「妻との外出」の際はこの限りではない。運転をコチラに任せるにも関わらず、妻はイレギュラーが大嫌い。新婚旅行で海外の初場所、地図も英語表記で歩いているのに「ホントにこっちであってるの?」と聞いてくる。「知らんわ」である。地図には従っているつもりだが、「ホント」かどうかはわからない。しかも、異文化の街の景色にコチラはときめいている。「ホント」でなくても大いに充実してしまっている。予約を取っているわけではないからいくら時間が掛かっても構わないくらいのモチベーションだ。

 

心の設定の違いなのかもしれない。予定通り、しっかりした設計が基準の人と、常にある程度(個人的にはダブダブ)の振り幅を持った設計の人と。縦に伸びていく人と、丸く広がっていく人との違い。どっちがいいってことじゃなくて。

 

もちろんナビは使う。でも、高速道路じゃない限り曲がり角を間違っても大したことはない。人生だってきっとそうだ。ゆるーくふらふらいこう。