某じゃぱん

魚釣りと人間

人間:年寄り

年長者を敬え。

言いたいことは分かる。自身も徐々に、いや、確実に年長者側に行きつつある。敬ってくれなくてもいいが…

 

「おばあちゃんの知恵袋」的に、年長者から学ぶことは多い。学校にしても、自分より年の若い人から学ぶ機会は少ない。とはいえ、現代においては、PCスキルやアプリケーションの使い方は若い人の方が詳しい。教えてもらう機会も結構ある。

 

「敬う」のと「学ぶ」は違う。

 

「敬う」のは手放しなイメージ。その人の背景は気にせず、大切にする感じ。

「学ぶ」は違う。その人の背景ありき。脈絡もなく、要望もなく、ただ年長者だからといって学ぶべきことがあるわけではない。と思う。

 

この辺りを履き違えているのは「年長者」側だと感じる。年寄りが言っているから正しいなど、そんなことはない。

 

技術がどんどん進んでいく。詐欺でなければ「仮説→検証」が繰り返され、より良い方向へ、より正確な方向へ動いている。年長者が唱える「昔は…」の知識はすでに過去のものであることも多い。それでも「年長者然」とした態度で物言う年寄りが…嫌いだ。

 

「教えて」って言われていないのに教え始めるのはどうしてだろう。「困っている」って言われてないのにお節介を焼き始めるのはどうしてだろう。「手伝って」って言われてないのに不機嫌そうに手を出し始めるのはどうしてだろう。

 

その筋の一流なら説法されても聞けるけど、ただ歳を取っているだけの素人にズカズカ来られるのはどうも…正論で意見すると不機嫌になるしねぇ。

 

「部を弁えろ、若造」と言われるけど、年長者だから部がないわけじゃない。手放しで「敬」ってもいい。「長い人生、お疲れ様」「現世って大変っすね」って。とはいえ、手放しで「教えを乞う」てはないし、乞うつもりもない。人生の経験で手に入っていない情報は、いくつになっても勉強しなきゃね。