某じゃぱん

魚釣りと人間

食べ物:おでん

妻と息子はおでんが好きだ。帰宅の遅いパパは夕飯を食べないので、寒くなると二人前の湯煎して温めるおでんを買ってよく食べるらしい。

 

子供の頃、おでんが嫌いだった。

おでんはおいしい。しかし「ご飯のおかず」としては食が進まない。

①味が薄い。

②練り物があまり好きではない。

 

単独で食べるととてもおいしい。がんもどきは好きだし、大根もおいしい。実家のおでんにはジャガイモが入っていたが、問題なくおいしいと思う。大人になり、お酒のあてにおでんはとても好きだ。

それでもご飯は進まない。

 

周囲に「おでんのおかず可否」を尋ねると、半々である。進まない勢の意見は皆同様、「薄い」である。進む勢の意見は個人の性格を感じた。「普通におかずだった」「それがおかずなら食べる」「酒のあてなら米のおかずになる」等。おかずとして捉えるのではなく、特筆に値しない日常の一部であるだけなのだ。「おでんでご飯はサイコー」ではないのだ。「ご飯が進む」わけではないのだ、きっと。「おでんでご飯はサイコー」な人もいるに違いないが、少数ではなかろうか。

 

おでんは好きだ。大切な日本の食文化だろうし、一から作ると考えられないほどの手間がいることもわかっている。しかし、おでんをおかずに食の進まない客を怪訝な顔で見ないであげてほしい。夕飯の主菜がおでんで食が進むのは少数なはずだから。